旧稲田屋赤煉瓦蔵について
明治17年に茨城で発刊された「勧業年報」では、太田町東一町20番地の「稲田屋」の屋号を見つけることが出来る。この赤煉瓦蔵は、明治43年に此の地で酒造業を営んでいた「稲田屋」の稲田敬造氏が建造した。茨城県に於ける三階建ての赤煉瓦蔵が少ないこともあり、平成21年常陸太田市から委託を受けた筑波大学によって学術調査が行われた。
建築にあたったのは、当時の太田町金井町在住の宮大工棟梁斎籐辰吉氏であり、同時期に建造された国の重要文化財である、旧太田中学校講堂の影響が感じられる興味深い作風となっている。特に煉瓦蔵の三階の天井部分の柱と梁の組み方の美しさは、斎籐辰吉氏の卓越した技術の粋が凝縮されており、見る人を楽しませている。
住時は隣地に赤煉瓦蔵二階に外側漆喰跡から繋がる土蔵二階の商家があり、敷地内には三つの井戸跡や裏の門柱、更に敷地を遮る煉瓦塀が残っており豪商「稲田屋」の姿を想像する事ができる。
この煉瓦蔵の牛梁下面には「明治四拾三年五月吉建造 棟梁斎籐辰吉 当主稲田策[時年廿五] [躬似帝国大学修行中]稲田善九郎営之」と、また東側面には「仕事師飯塚伊之吉[煉瓦職工][土倉任三郎、奥田常夫]」([ ]内割注)との墨書がある。明治43年(1910)にこの煉瓦蔵が建築されたことが分かるが、この年はかつて南に接してあった店蔵の建設の一年後にあたる。施主・棟梁は店蔵と同じであった。
建物は梁間2間.桁行3間で三階建ての規模であり、通り側に妻側を向ける袖蔵で、平側に入り口を持つ。木の柱は両妻側の中央窓の両側に立つだけで、四隅では省略されている。二階・三階の東西両妻側には観音開き扉のついた窓を開け、一階南側に入り口を設ける。ここもかつては観音開きの扉が付されていたと思われるが、現在は撤去されている。
筑波大学藤川研究室